帰国とブログ更新終了

帰国の日は結局数時間しか寝られず。フリブール駅まで歩いて行き、7時台発のジュネーヴ空港行きの電車に。一等にしたがガラガラで快適だった。

 

順調にジュネーヴ空港に着きチェックイン。ヒースロー経由だがずっとBAなこともあり、荷物は一回預けるだけでオーケー。手荷物検査を済ませ、少し待機して出国審査もこなし、ゲート前で待機。すべてスムーズ。12時前くらいにはジュネーヴを出発し、ロンドンへ。現地時間の13時前には到着し、また手荷物検査をこなして、昼食を済ませつつ、ゲート前待機。総じて時間に余裕があって焦ることもなくてよかった。ヒースローから成田に行く便には日本人がたくさんいるので日本語がたくさん聞こえてくる。最後にラッキーなことがあり、搭乗直前に席がエコノミーからアップグレードされて、プレミアムエコノミーになった。このおかげでだいぶ快適に過ごすことができた。

 

成田には現地時間で4月1日の12時前には着。そこからつくばセンターまで高速バスで行き、センターからタクシーで帰宅。家族と感動の再会。

 

ということで、短い期間ではありましたが、このブログの更新はこれまで。当初からの目的である生存報告は果たせたのではないでしょうか。研究者ならもっと研究情報を書くべきだったかもしれませんが、それは別に主目的ではなかったのでそうしなかったまでのことです。家族と離れて単身でヨーロッパに滞在していたので、そもそも家族や知人にまとめて生存報告することが主目的でした。合わせて、スイスのフリブール大学での留学に関する情報は、行く前には日本語ではネットでほとんど見つけられなかったので、それを少しでも補うことも考えていました。

 

ヨーロッパ滞在中は珍しくフェイスブックもほぼ毎日見ていましたが、これからはまた見ない日々が続きます。最後に、フリブール日記を謳いながらフリブール以外の街に関する記事の方が充実(?)しているじゃないかと思われた方は、私がこのタイトルを拝借した犬養道子フリブール日記』を参照してもらえれば、その点については実は同様であることが窺えるかと思います。定期的な読者に対して最大限の感謝を!

アパート掃除

今日は一日帰国準備。掃除機をかけたり、拭き掃除をしたり。パッキングもやる。思ってたより荷物が増えていたので、衣服を一部処分することに。大きい旅行カバンがまた重量オーバーになる気がするがどうなることやら。

 

そしてこのブログの終わりも近づいている。何らかのタイミングで明日の分を更新することで、記事を書くのをとりあえずはやめることにしたい。日本での日常に戻らなければ。

最後の晩餐

通常の起床で、10時からアパート下見希望者の受け入れ。母と息子の組み合わせで、息子さんが学生のようだった。結局次に入る人が決まっているのかはよくわからない。

 

朝の内に研究室に行き、とにかくスキャンをしまくる。昼は学食。

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金曜日なので魚料理があった。さらば学食。

 

しばらくしてFが来たところで、中央図書館の方に行ってスキャン。何とか終わらせ、まだ中に入っていなかった聖ニコラ大聖堂に行くことにする。

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思っていたより内装が豪華だった。聖人たちの絵がたくさんあるのも魅力的。帰りしな、暑かったのでジェラートを買って食べながら研究室に戻る。小さいサイズ(それでも十分)が4フランで、そのことをイタリア人のFに言ったらいつものように苦笑いしていた。

 

書類仕事も済ませて、19時過ぎにはFと研究室を出て駅前でTさんと待ち合わせ。Tさん宅での食事会に車で連れて行ってもらうというありがたい企画。何とか合流し、Fと車に乗る。ちなみに白の「オンダ」だった。ご自宅では夫のRさんが出迎えてくれ、料理も担当していた。アペロの後、オリエント風ということで、レバノン風サラダと、クスクスをいただく。街中にはレバノン料理屋がちょいちょいあったりして、こちらでの中東料理の一角を担っているようだ。料理は美味で、メキシコ出身のRさんも気さくな人だった。またご自宅には、仕事柄色々な国に行くRさんが買ってきた各国の民芸品などがあったりして興味深かった。四方山話をしつつ、最後に写真撮影をお願いしたりした。これは昨日のV宅でもやった。帰りもTさんに車で送ってもらいお別れ。これからもつながりを保てるように努力したい。

ベルンの行き納め

今日も割と早く起床。10時からアパート下見希望者を受け入れる。夫妻だった。

 

それが終わったらフリブール駅まで行きベルン行きの切符を自動券売機で買おうとしたらショッキングなことが。一回目は知らない女性がお金をねだってきて、別の券売機に行ったら今度は別の若いアジア系の女性が何も言わず横に突っ立ってお金を欲しそうにしていた。普段はこんなことがないのでちょっとパニックに。その時は割と大金を持っていたので後で買うことにする。ミラノやパリといった大都市では、主要駅の自動券売機などでこのようなシチュエーションは十分ありうるのだが、スイスのしかもフリブールで、という所にちょっとショックを受けた。単なる物乞いとは異なり、こういう手口には組織性が感じられるのでいい気持ちがしない。どうやら人の少ない時間帯が狙われたようだ。

 

今日も昼はFと学食で、その前に報告書の初稿を書き上げた。あとでTさんに見てもらい、実は正式なフォーマットがあるらしいのでそれに流し込みつつちょっと直したりしないといけない。土曜日あたりまでには何とかしたい。

 

18時前には研究室を出て、FとベルンのV宅へ。今日はピザが振る舞われるとのこと。イタリア人がいるのでかなり強気な気もしたが、結果的にはとてもうまくて大満足でした。お酒は、私が前にあげた日本酒、ビール、赤ワイン、プロセッコなど多様だった。ベルギー人のVはベルギービールをストックしていて、これは素晴らしい。

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行きしなにベルンでもサクラらしきものを鑑賞。帰りは22時過ぎくらい。フリブールのアパートには23時台に帰宅。明日もお呼ばれがあって私の社交力はもう限界が来ているが、困ったら(?)息子の写真や動画があるので息子に活躍してもらうことにしよう。今日の日中にはタンデム仲間のChから息子用のグッズをプレゼントでもらったりしたので、ありがたい限り。

色々な最後がたくさん

朝は割と早く起床し、午前中の内に研究室へ。ここでVの家で明日食事会をやることが決まる。私とFが招待される。

 

昼はFと一緒だったかな。食後、私はTさんの講義へ。今日はユダヤ思想の導入。イザーク・イスラエリとイブン・ガビロルまで突っ走る。後者については少しだけ学説にも触れるタイミングがあったが、時間いっぱいになってしまったので次回以降に。非常に残念。

 

私はずっとスキャンをしたりして過ごす。夕飯もいつものようにFと学食へ。しかしこれが学食での最後の晩餐となった。

少し回復

だいぶよくなってきたのでタンデムを30分だけやる。アスコーナの話など。合わせて、体調不良で断っていたアパート下見を受け入れつつ、大学へ。

 

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その前にチラッとコープに寄り、子供服などを物色するが、特にスイスらしいものはなかった。マーヴェルコミックスものがあったり。

 

研究室に行き学食で昼。Fと合流。別々のタイミングで戻るとVがいた。私は途中で移民局に向かい、滞在許可証を返却。一瞬で終わる。

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移民局近くのバス停からの風景。これも見納め。

 

研究室に戻りつつ、文献収集の作業を続ける。したいことは山ほどあるが、今しかできないこととして。もっと早くからコツコツやればよいのだが。そんな中、Tさんからお願いがあって、どうやら滞在期間中に英語で報告書を書く仕事が残っていた模様。あーらら。明日までに終わらせねば。

 

夕飯はFと学食。これも残り2回だ。Tさんからのお呼ばれはどうやらVとFにも声がかかっているようなので、少し気が楽になる。一対多を少し想定していた。ということで最後の晩餐が近づきつつある。これのポイントは、復活できるかどうかだ。

大学へ

今朝のタンデムは無しにしてもらったので、午後までゆっくり過ごす。朝にはTさんからメールが来て、お食事会が金曜夜に行われる予定。それまでには胃腸のコンディションをよくせねば。

 

昼は家でリゾット。未開封のものがまだ1kgあったので、なるべく消費したい。

 

今日もずっと家にいてもよいが、返さないといけない本があったので何とか研究室へ。まだVがいて正確な帰国日を伝えたりする。もしかしたら土曜日に最後の晩餐ができるかもしれないがどうなることやら。

 

Vが帰ってしばらくするとイタリアにちょっと戻っていたFが来た。夕飯も一緒に。イタリアの博士課程事情などを聞く。大変そう。それでも予算をゲットできれば、イタリアの大学に在籍しつつ、イタリアでの予算とこちらでの予算と合わせて、短期間ではあるが博士論文準備の作業が出来ているからよいと思う。これの日本人版は実はなかなか難しく、知る限りでは、私が使っている奨学金がほとんど唯一の対応物だと思われる(組み合わせ自体は他にもありうるかもしれないが、持ち出しなしでいけるくらいのお金がもらえる組み合わせのこと)。私はポスドクだが、博士候補生だったらドンピシャ。そういう意味でも、本当に貴重な滞在。