三月兎

起床は通常通り。朝から古典ギリシア語と向き合って、12時過ぎに外出。『国家』の英訳は、もう少し逐語的に訳してくれているものを確保しておいた方がよさそうだ。

 

大学に行く前に駅前のショッピングセンターに寄る。コープをうろうろしていると、既に復活祭に向けた動きが見られた。

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ウサギのチョコが大量に売られている。別のショコラティエでも同じだった。

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他の店もちょっと覗いてみようかな。味はおそらく普通だろうから、自分用に一つくらい買うかもしれない。

 

そんなこんなで研究室に行くと、VとFは既にいた。やはり私は重役出勤のようだ。先に退室したFが学食に行ったみたいなので、追いかけて合流する。四方山話。お互い非母語としてフランス語を話しているわけだが、向こうはたまにイタリア語が混じったりする。ロマンス語の中でも近い方なので何とかなるのがすごい。そもそも非欧米語母語話者にとってはそういう技が使えないのが残念だ。TOEFLを受けた時に、スピーキングの最初の方をうっかりフランス語で始めてしまっている人がいたが、こういう芸当は日本語母語話者にとっては普通はありえないのではと想像する。

 

研究室に戻ってしばらくし、Tさんの講義に向かうことにする。研究室を出てすぐの所で会ったので、ついでに某申請についても念押しで聞いて、大丈夫なことを確認する。数年おきにやってくる申請書の季節がやってきた。

 

今日は珍しくTさんは風邪気味で少し不調だったが、アヴェロエスについての授業は無事に進む。トマスによる批判が詳細に語られる。可能知性離在説がプラトン主義的だと言われる一方で、アリストテレスに忠実なはずのトマスも魂がある意味では離在的なことを認めているからやはり同じようにプラトン主義ではないかというまっとうな質問があった。トマスにとっては魂の不死を護持する必要があったから、とまずは標準的な答えがあった上で、このややこしい問題の一つの帰結が、魂の不死を哲学的に論じなくなってしまう流れに行き着くこと(その一つの到達点がポンポナッツィだろう)に言及が及ぶ。もう一つには、フランシスカンに典型的な実体形相複数説にも言及が及び、オリヴィもちょっとだけ登場。ドミニコ会士がたくさんいるこの大学で、Tさんはトマスだろうがフラシスカンだろうが何でも精力的に取り組んでいていつもながら感動する。

 

研究室に戻りVが帰った後も粘ろうとするがいまいち。うたた寝してもいまいちなので21時過ぎには帰宅準備。夕飯はいつものジャガ炒め。

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今週は今のところノンアルコール。同じ名字の友人がたまにやり取りする時に酒の飲みすぎ注意と言ってくれるのだが、どうやら問題なさそうで、むしろその友人の方がちょっと飲みすぎなのを心配している。

 

食後は久々にRと長電話。イタリア留学の厳しさについて色々知る。それでも何とかなるようなならないような、やっぱり何とかなりそうな状態のようだ(自分でも何を言っているかわからない)。私も何とかやっていきたいと思う。